私の友人、現役外科医の藤村 樹さんがが本を出版した。
タイトルは『朝陽のぼるこの丘で ―ふね、とり、うま―』
彼の才能とその偉業に敬意を払いつつ、書評をここに書きたいと思う。
この作品の裏表紙をご紹介する。
美人医師である美咲は、豪快で奔放な、しかしつまらない人生を送っていた。
そんなある日、酒に酔った勢いで同僚の医師、明護を誘惑しようとして大玉砕。
しかも翌日、自己嫌悪と二日酔いの中で受け持った患者、澪舟が明護の浅からぬ関係であることを知らされ驚くが、二人のひたむきで澄んだ思いに打たれ、応援するようになった。しかし澪舟の体は……。託された想いを美咲は……! ?
朝陽のぼるこの丘で ―ふね、とり、うま― 裏表紙より
登場人物紹介
「生」を奔放かつ豪快に生きる美咲
美人な麻酔科医師、美咲。
才色兼備、誰もが羨むような容姿や肩書をもつ女性。
だがその心の中は「幸せ」で満たされている訳ではない。
目の前の「生」は退屈かもしれないが、幸せを求めて、前にを進んでいくしかないのだ。
日常の「生」に精一杯で「死」とはかけ離れた存在。
ただ、負け知らずな彼女にも、敗北や試練は用意されている。
現実離れした肩書とは裏腹に、物語の中では「死」を普段意識していない私たちの身近な生身の人物にも見えてくる。
そして、デキる女医さん特有の勝ち気な性格をベースに、突飛で、まっすぐで、時に“イカれた”性格はなんとも憎めない。
このあと紹介する澪舟は、美咲の担当患者だ。
「死」の足音を聞きながら、今を精一杯生きる澪舟(みふね)
美咲と対象的に描かれるのは澪舟だ。
難病に侵された澪舟。残された時間の短さを嘆いている時間もない。
今を精一杯生きるのは「死」の足音が迫っているからだ。
末期患者になると接する人の人となりが手に取るように分かるのかもしれない。
澪舟の前に、美咲の言動は見透かされるように感じられるのだ。
「生」と「死」の選択に挟まれる明護(あきもり)
そんな澪舟の主治医となるのは明護。
澪舟とは“浅からぬ関係”である。
秋護が迫られるのは「生」と「死」の選択だ。
人間は少しでも長く生きれば幸せなのか?
西洋医学の至上命題に直面しながら、澪舟の治療にあたる。
果たして3人に待ち受ける運命とは?秋護の下した決断は?
『朝陽のぼるこの丘で ―ふね、とり、うま―』から得た気づき
医療従事者としての患者さんの捉え方
医療従事者は患者さんを病人という枠で捉えてしまいがちだ。
病気はあくまでその人の一部に過ぎない。
治療者である前に人として何ができるのか、医療従事者にとっての前提をを再考させられた。
もちろん、澪舟と秋護は患者と医者関係以上に家族に近い関係だ。
治療者として冷静さを保つことも、人として接し続けることも必要だ。
それぞれは相容れない部分も意外と多い、葛藤もあるだろう。
正解がないことに答え作るプロセスや葛藤が、この作品の醍醐味であり、美しさだ。
表裏一体の生と死
私たちはどこかで「自分だけは死なない」と思っている節がある。
自分の車だけは事故に遭わないし、自分だけは大病になるはずがないと….。
私たちの日常には「死」を意識している瞬間はほぼ皆無といっていい。
だが、人間の「生」にはかならず「死」という終着点がある。
その意味で「生きている」とは「少しずつ死んでいっている」といってもいいのかもしれない。
「人は遅かれ早かれ死ぬ」という事実を私たちは直視できているだろうか。
今まさに命を燃やして生きる我々にとって「死」とはもっと強烈に意識されていてもおかしくない。
私は医師の職業柄、多くの患者さんの「死」を経験する。
だからといって「死」を自分の身近な存在に落とし込めているかというと、そうではない。
あくまで〝仕事〟として「死」を割り切ってる自分がいるのだ。
患者さんの「死」の覚悟と自分の「死」の覚悟をどこか別次元で考えていることに気がつく。
その後の状況が分かっているからこそ、医療従事者は自分が「死」の縁に立った時に「死の受容」には苦労するのかもしれない。
仕事での経験が自分の「死」の受容に役立つかというと、それはまた別問題だ。
人生で1度しか経験しない「死の受容」のスタートラインは皆同じなのだ。
「死」の受容
人はどのように「死」を受容するのだろう。
エリザベス・キュブラー=ロスによれば、人間の「死の受容のプロセス」には5段階ある。
「否認」:自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階。
「怒り」:なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階。
「取引」:なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態。
「抑うつ」:なにもできなくなる段階。
「受容」:最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階。
受容に至るまでは4つの壮絶なる苦悩があるという訳だ。
様々な葛藤の中、内省に内省を重ねる工程だ。もちろん順当に5つの工程が進むのではない。
「受容」したような日もあれば、次の日には真っ向から「拒否」しているような過程でもあるだろう。
様々な葛藤の末に達した、その境地は「美しい」の一言だ。
「細く長く生きる」とか「太く短い人生」とか言われるが、人生に太さがあるなら、その太さが一様な訳がない。
「死」を意識することは自分の人生と強烈に向き合うことになる。
「死」を意識して人の人生は末広がりに太くなっていくのだと、私は思う。
遺された人びと
そして、「死の受容」は本人より、周りの人間の方が時間がかかる。
周りの人間が、誰かの「死」を受容するのは、ずっと後だ。
もしかしたら、本人が亡くなった後なのかもしれない。
そして、遺された人間は「あの時ああすればよかった」と後悔するものだ。
だが、もう一度過去に戻って、選択し直すことなどできない。
逝く人は最期の贈り物を残すと言われる。
澪舟が残していった贈り物とは・・・??
・・・これ以上は本編に譲ろうと思う。
最後に
友人の作品ということを抜きしても、読む価値のある小説だと感じた。
現役の外科医だからこそ描けるリアリティがそこにある。
この作品に出会えたことに感謝し、作家人生の一歩を踏み出した彼に心からエールを送りたい。
そして、この本と物語がたくさんの人の元に届くことを心から祈っている。
参考文献
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